わたしのアイドル論-アイドル展さんへの寄稿

 今年9月1日から6日に名古屋で行われたアイドル展(アイドル展 (@idol_ten) | Twitter)にて展示された「アイドル論」という冊子に、わたしのアイドル論というテーマで寄稿させていただいた。今回はそれをブログに残したいと思う。

 

アイドル展さんとの出会いは3月下旬。友人がTwitterでリツイートしていた、アイドル展開催のお知らせがきっかけだった。

このツイートを見て存在は知っていたものの決意しきれていなかったのだが(極度の緊張しい) 26日の朝もう一度アイドル展さんツイートがTLに流れてきていたので、すぐに電車に飛び乗った。思い立ったが吉日!

 

まず入口で頂いたチケットがとても可愛かった。裏面もめちゃくちゃ凝っていて、この時点で興奮マックス。

展示内容は、美大生という立場からアイドルを考察、その感性やセンス、技術などをフル稼働したアイドルそのものや運営、アイドル史などだった。平面から立体までどれもクオリティがものすごい。

もう終わってしまったのが悲しい。わたしも名古屋行きたかった。ほんとに名古屋行きたかった。

 

というように、とても楽しい展示で様々なジャンルのアイドルファンの方がいらっしゃったのでついつい居心地がよく長居させていただいた結果、色々なお話をさせていただいていた。後日名古屋での展示にて何人かの「私のアイドル論」をまとめた冊子を展示するというお話を聞き、厚かましいながら原稿を書かせていただけないかとお願いしていた。

 

今回その原稿をブログに掲載することを快諾していただけたので、以下に残した。一部加筆済。

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「アイドル論」

私にとってアイドルとは「宗教」である。そう考えるに至った要因は大きくわけて2つ、運営のあり方とファン心理だ。ここでは私の経験によって【アイドルとは宗教である】という仮説に対して考察をしてゆきたいと思う。

まず運営のあり方。最近はアイドルや担当マネージャー等がSNSで情報や独り言を発信しそれに対してのレスポンスが出来るスタンスがかなりメジャーであるが、元々ジャニーズ事務所畑で生きてきた私にとってアイドルは天上界の存在だ。閉鎖的なWebサイトでのみ本人たちの日常を垣間見ることが出来るくらいで双方の意見が交換できる場などはない。本人たちが見ていればいいなと願いつつSNSやファンレターに意見や愚痴、感想をぽつぽつと落とすが特に反応はなく、私達との間には大きな隔たりがある。これが私にとって当然の距離感だ。言葉や思いは一方通行どころか届くこともなく、物申すことができない対象を静々とただ見つめてお金をかけてゆく行為によってペシミズムに陥ることは少なくない。しかし抜け出すことなんて出来ないこのどうしようもない底なし沼のような世界であり一度入ったらなかなか抜け出せないほどの魅力を持っている。わたしは一度アイドルファンをやめたことがあったのだが、3年間のブランクを経てより深い底にまで落ち込んだため、恐らく一生アイドルの誰かを愛することをやめられないのだろうという諦めの感情さえ抱いている。

 

次にファン心理。これは私自身の実体験をまじえて考察したい。今年の5月末から6月頭頃、私はジャニーズ銀座2015(ジャニーズJr.によるメンバー日替りコンサート)に足を運んだ。約1ヵ月貸しきったシアタークリエで、既に人気のあるグループによる公演もあれば、このためだけに集められたグループが入れ替わり立ち代り公演を行う。チケットは僅かな当日券のみを残してどの公演も即日完売となっていた。

さて、当日券はだいたい10枚前後で各公演開場1時間半前に整列をし、厳正なる抽選で当落が決まっていく。この僅かな枠を狙って集まるのは数百人、公演によっては1000人を越す長蛇の列であった。公演によっては平日の昼間、仕事や学業、家事などの隙間を掻い潜っては時間とお金をかけて集まるファンの熱意たるや、恐怖すら感じるほどだ。とはいっても私もその1人。1公演もチケットを持たないまま、2グループ合計10公演中8公演に並んだが、結果は言わずもがな惨敗である。

しかしここで注目したい点は、ファンの中には公演を見ることだけが目的ではない人が多くいることだ。もちろん彼らを生で観るために「自分の推しが何人集められるか(他担・他Jr・事務所に)見せつけること」も目的に入っているのだ。グループ間によってはあそこだけは絶対に越す…という熾烈な精神戦が行われており、いわば代理戦争である。決して数字に見返りを求めるべきではないとわかっていても(もしかしたら活動が増えるかも)という安易な期待を持ち、推されている他グループ・他メンバーに嫉妬してしまう。見返すためにせめて人気を数で表そうという、戦争だと感じた。

 

最後に、わたしの中のアイドルの性別差について話したい。私は女性・男性アイドル共に応援しているのだが、自分の中での立ち位置は全く異なっている。前者は外見も中身もコンプレックスの塊の自分にとって「自分のできなかった(できない)ことを投影する対象」であり、後者は「単純な憧れの対象」である。よって、前者は自分の存在有りきで好き嫌いが分かれているが、後者は自分自身の存在を抜きにして考えている。

具体的に言おう。まず女子ドルに関しては、割合好き嫌いが激しい対象だ。顔やスタイルの好みや少しの言動で苦手だと離れてしまう場合が多い。理由としては「自分のできなかったことを投影する対象」であるために、乱暴な言い方をすれば私にとって理想でなくなってしまったら途端に興味を失ってしまう。普段の言葉遣いから営業方法、スキャンダルまでたった1つの出来事がまるで砂の城を壊す波のように全てを飲み込んでしまうのだ。もっとこうすれば良いのに、という身勝手な感情が露骨に応援への熱意に反映されてしまう。一昨年大好きなグループから一番好きだった子が脱退してしまったのだが、その際にはそのグループへの熱自体が冷めてしまった。彼女のいないグループに全く興味が示せなくなったのである。一方男子ドルに関しては、「単純な憧れの対象」であるためにそういったことが少ない。恋愛対象にするスタンスではないし、ただただステージの上の彼らが見たいだけなのだ。嫌いな髪型でもすぐに変えるだろうと諦められるし、スキャンダルも気のせいかもしれないと言い聞かせられる。誤解を恐れずに言えば、ある意味で期待をしていて、ある意味で期待をしていないのだ。男兄弟がいない自分に男の人の生態は全くわからない。そのために全く別世界の存在を垣間見ているだけであり遠い存在だと感じているのだろう。また鉄壁要塞なジャニーズ事務所を応援しているためか、そこに自分の意志が反映されるとは思っていない。もちろん女子ドルなら反映されるというわけではないのだが。

 このように、自分や対象の性別・年齢などによってファンにとってのアイドルという存在は大きく異なるだろう。わたしだけでなく、多くのアイドルファンがそうであることがアンケートの結果にも示されていた。理想に対する達成度に対してすぐに幻滅してしまったり、または反対にいつまでも追い続けられたりとファン心理にも大きく関わる要素が性別・年齢であり、その理想の高さはひとによってまちまちだとしても比較的高い水準が求められている。

 

しかしいずれにしても私にとってアイドルとは近くて遠い存在。頭の中や携帯端末の中ではいつでも微笑んでいるのに手がとどく所にいるものではないし、わたしの思い通りになるわけのない存在だ。悲しいほど遠くて、苦しいほど愛おしく近しい。そんな彼・彼女らのために、今日もファンは汗水たらして働き聖地へ出向くためにお金づくりに勤しんでいるのである。 

(2015年【アイドル展!】への寄稿を一部加筆修正)

 

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来年でも再来年でも、もしもう一度行く機会があれば次は名古屋にも飛んでゆきたい。わたしは、アイドルファンなアイドル展さんのファンです。

この度は原稿転載を快諾して頂きありがとうございました。